黒糖造りのとの出会い
沖縄生まれ、沖縄育ちの私にとって黒糖とは
私は1959年沖縄県の浦添市経塚と言うところで生まれました。
私が小学生の頃まで僅かですが、私の家で父が大工の仕事と兼業で黒糖の原料であるサトウキビを栽培していました。
今はほとんどが住宅地となっているこの辺もあの頃はサトウキビ畑が多く、やはり兼業で栽培していました。
収穫したサトウキビは全部大きな製糖工場に買い取ってもらい、
製糖工場でそれを粗糖と言う白砂糖の原料を製造していました。
それは今でも沖縄のサトウキビ農家はこのように収穫したサトウキビは粗糖を製造する製糖工場に買い取ってもらっています。
沖縄が薩摩藩の統治下にあった頃は各村々に黒糖を製造製造する共同の製造所があり、
収穫したサトウキビはそこで持ち回りで、黒糖を製造して、それを年貢として薩摩に納めていたそうですが、
今は自分で収穫したサトウキビを黒糖にして自家用にしたり、販売する農家はありません。
それは、圧搾の機械が必要なのと製造に手間がかかるからです。
サトウキビ農家でも黒糖はお店で買って食べています。
沖縄でも一般的に販売されている黒糖はほとんどが加工黒糖です。
前回、ブログにも純粋な黒糖と加工黒糖の違いについては記載させていただきましたが、
味も成分も製造方法も全くちがいます。
沖縄の住んでいる人でも純粋な黒糖は意図して探してしか手に入りません。
私も本物の黒糖に出会うまでは加工黒糖の味しか知らず、本物の黒糖の味はしりませんでした。
加工黒糖しか食べたことがなかったわたしもこれが、黒糖なのだと思っていて、
正直、あまり美味しいものとも魅力のあるものもだともおもっていませんでした。
ある時、偶然、趣味で自分で黒糖を作っているおじいさんに出会って、
そのおじいさんがつくる本物の黒糖に衝撃を受け、黒糖作りをはじめました。
本物の黒糖との出会い
私は地元の大学を卒業して23歳から32歳頃まで東京の不動産会社に努めていました。
東京の暮らしが段々と肌に合わなくなってきたわたしは、
沖縄に戻って農学部を出ていた私は、何か農業に関わる仕事をしようとおもいたち、
沖縄に帰郷して、ワンボックスカー一台で沖縄に独自の野菜や果物の仲買人を始めました。
沖縄の果物で島バナナと言う沖縄で栽培されているバナナがありますが、
得意先のお店のために直接島バナナを仕入れる農家を探し回てるとき、
道端でなにやら作業をしているお爺さんとお婆さんはを見つけ、
「この辺りで島バナナを栽培している農家をしりませんか?}と尋ねたところ、
「島バナナ農家はこの辺はないね」といわれたが、少し話し込んでいたら、
お爺さん(城間さん)が「ワンネーサターチュクトンドー」(自分は黒糖を作っているよ)といいました。
自分で黒糖を作るひとは沖縄でもめずらしく、興味を持ったわたしは、
城間さんの黒糖造り見学することになり、
実際に見学をして城間さんが造った黒糖を食べたところ、
その味に衝撃を受けました。
それから、城間さんが黒糖を作る時は手伝いをしにいき、
黒糖造りを教えてもらいました。
されが、私が黒糖造りを始めたきっかけです。